表銀座縦走 後編 (2013年9月) [北アルプス]
前回からの続きです。
9月20日(金) 晴れ
【表銀座は道が整備されており危険箇所もなく歩きやすい】 某山雑誌に紹介されていた一文です。
『どう見ても危険箇所だらけじゃん・・・』 ヒュッテ西岳のテント場から東鎌尾根を望んだとき私はそう感じました。
高所恐怖症のよしころん、ヤセ尾根ってだけでも嫌なんだけど、槍までのアップダウンも半端ない(><)
確か長い三段梯子もあったはず。 歩ききれるかな・・・
エスケープするにしても、水俣乗越まではなんとしてでもも歩かないと・・・
翌日のことを思い、悶々としながら眠ったのは私だけではありませんでした。
燕岳のテント場からご一緒している同年代のご夫婦の奥様。
「わたし高所恐怖症なの~~ 槍? 前にきたときも登ってないし~(笑) 登ったのは主人だけよ。」
「東鎌尾根、ダメかもしれない~。 いざとなったらエスケープあるものね。」
ヤセ尾根、トラバース、鎖、梯子大嫌い! 恐怖ポイントがよしころんと共通してますぅ~~!!
「昨日から誰に聞いても <東鎌尾根は大丈夫。 問題ない!> って言われるんですよ。」
「隣のテントの男性は北鎌尾根登って東鎌尾根を下ってきたそうで。」 ご主人。
『えぇ~! それ聞く方間違ってますよぉ~~ ^^; (笑)(爆)』
よしころん夫婦は水俣乗越まで歩いたかんじでエスケープするか、そのまま進むかを決めることにしました。
『では今日もよろしくお願いします♪ がんばりましょう! 気を付けて!!』
お互いの健闘を祈って出発しました。
水俣乗越は東鎌尾根の鞍部(表銀座縦走路の最低鞍部でもある)。 このあとは基本登りになるのでなんとか大丈夫そう。
わたしたちはこのまま東鎌尾根を進むことにしました。 このとき私は「窓」にかかる三段梯子の存在を忘れておりました・・・
精神的、肉体的に余力があれば槍の穂先も行ってみようかな・・・
少しだけ思っていましたが、東鎌尾根で精神も肉体も使い果たしてしまいました(笑)
こんな素晴らしいお天気の日に登らないなんて~ そう思われる方もいらっしゃるでしょうが、
東鎌尾根を無事歩ききることができた! その達成感と満足感でいっぱい!!
2人して不思議なほどに槍の穂先へ登らなかったことへの悔いはありませんでした。
このあと槍沢まで下らないといけませんしね。
初日のタクシーでご一緒だった奈良のおじさまも無事到着されていました。
もう穂先に登られ、ちょうど降りてこられたところだったようです。
おじさまの今後の予定は大キレットを越えて穂高方面。
「ありがとうございました。 どうぞ気を付けて!」
槍ヶ岳山荘で昼食をとったあと、満足感とともに槍沢へとメインルートを下り始めました。
『そういえば燕岳からご一緒のご夫婦、追いついてこなかったね。 エスケープされたのかな・・・』
話していると、下から単独の女性が登ってきました。 すると・・・
「あ~~~! 奥さ~~ん~!!!」 単独の女性。 燕からご一緒だった奥様です。
『えぇぇ~~~! なんで???』 よしころん。
「ヒュッテ大槍までは頑張ったんだけど、その先も厳しいってことだったんで、主人にはそのまま行ってもらって、私はいったん下ったの~。 それにしても東鎌尾根本当キツくて厳しかったわね~~。」
3枚前の写真で確認できますが、ヒュッテ大槍からメインルートまではかなり下って登り返しになります。
奥さま、疲れた様子もなく楽しそうに登り返しています。 高所恐怖症山屋のド根性を感じました。
「槍はやっぱりいいわね~~ またどこかでお会いしましょうね~~ヽ(^o^)丿」
でも奥様、槍の穂先には登りません(笑)
ご一緒できて本当に楽しかったです♪ お互い高所恐怖症山屋としてこれからもがんばりましょう~~
15時過ぎには無事槍沢キャンプ地(ババ平)到着。 最後の夜が更けていきました。
9月21日(土) 晴れ
槍沢キャンプ地(ババ平)とこちらを管理している槍沢ロッヂは30分位離れているので、
下山時にテン場を利用した際は帰路にロッヂに立ち寄りテント代を支払えればよいシステムとなっています。
ロッヂに立ち寄り支払を済ませたあとは上高地バスターミナルに向けて歩きます。
この日は三連休の初日ということもあって、このあたりまでくると登山者も観光客も入り交ざってすごい人(><)
登山者もわれ先にとガンガン登ってきます。 (殺気立ってて恐い・・・)
横に広がってしゃべりながら歩くグループ多数・・・ 直前でもよけてさえくれない・・・(せめて一列で歩いてほしい・・・)
ある意味危険エリアだと思いました ↓ ↓ ↓
テントを担いでの表銀座縦走。 4日間通してガスの発生や強風もなく晴天に恵まれました。
悪天では私達にはとても歩ききることのできないルートだったと感じました。
天に山に、お会いした人々に歩かせていただいと感謝の気持ちでいっぱいです。
何度訪れても槍の穂先には登れないかもしれませんが、槍ヶ岳にはまた別のルートで訪れてみたいものです。
次回ルートは高所恐怖症の奥様も大丈夫!とお墨付きをくれた 西鎌尾根が最有力 ^^v
※10月1日(火)早朝より次の山旅にでます。 毎度毎度で申し訳ありませんがご訪問、コメント遅れます。 m(__)m
9月20日(金) 晴れ
ヒュッテ西岳(テン場)~水俣乗越~ヒュッテ大槍~槍ヶ岳山荘~殺生ヒュッテ~天狗原分岐~槍沢キャンプ地(テント泊)
3日目の夜が明けた。 今回の山旅のなかで行動時間は一番長くルートも厳しい。 まさに正念場の1日がはじまる。
この日もお天気の心配はなさそう。 風もほとんどない。 山は歓迎してくれているようです。
【表銀座は道が整備されており危険箇所もなく歩きやすい】 某山雑誌に紹介されていた一文です。
『どう見ても危険箇所だらけじゃん・・・』 ヒュッテ西岳のテント場から東鎌尾根を望んだとき私はそう感じました。
高所恐怖症のよしころん、ヤセ尾根ってだけでも嫌なんだけど、槍までのアップダウンも半端ない(><)
確か長い三段梯子もあったはず。 歩ききれるかな・・・
エスケープするにしても、水俣乗越まではなんとしてでもも歩かないと・・・
翌日のことを思い、悶々としながら眠ったのは私だけではありませんでした。
燕岳のテント場からご一緒している同年代のご夫婦の奥様。
「わたし高所恐怖症なの~~ 槍? 前にきたときも登ってないし~(笑) 登ったのは主人だけよ。」
「東鎌尾根、ダメかもしれない~。 いざとなったらエスケープあるものね。」
ヤセ尾根、トラバース、鎖、梯子大嫌い! 恐怖ポイントがよしころんと共通してますぅ~~!!
「昨日から誰に聞いても <東鎌尾根は大丈夫。 問題ない!> って言われるんですよ。」
「隣のテントの男性は北鎌尾根登って東鎌尾根を下ってきたそうで。」 ご主人。
『えぇ~! それ聞く方間違ってますよぉ~~ ^^; (笑)(爆)』
よしころん夫婦は水俣乗越まで歩いたかんじでエスケープするか、そのまま進むかを決めることにしました。
『では今日もよろしくお願いします♪ がんばりましょう! 気を付けて!!』
お互いの健闘を祈って出発しました。
「見て! マチガ沢だよ!!」 ここからの景色、谷川岳西黒尾根から望んだマチガ沢とそっくり!
「ふだん通りに登れば大丈夫」 谷川岳が応援してくれているような気がしました。
水俣乗越は東鎌尾根の鞍部(表銀座縦走路の最低鞍部でもある)。 このあとは基本登りになるのでなんとか大丈夫そう。
わたしたちはこのまま東鎌尾根を進むことにしました。 このとき私は「窓」にかかる三段梯子の存在を忘れておりました・・・
マジか・・・・・・
山の影の真ん中に自分の姿が棒のように映っています。
実は梯子を降りてからのヤセ尾根のほうが怖かったです。
ヒュッテ大槍を過ぎたあたり^^
とうとうここまでやってきました! ヽ(^o^)丿
真ん中の赤い屋根は 「殺生ヒュッテ」 その少し上、小さな赤い屋根が「ヒュッテ大槍」 その延長に続くのが東鎌尾根。
こちらは裏銀座から延びる 西鎌尾根。 ここも歩いてみたいね♪
槍ヶ岳 ありがとう・・・
精神的、肉体的に余力があれば槍の穂先も行ってみようかな・・・
少しだけ思っていましたが、東鎌尾根で精神も肉体も使い果たしてしまいました(笑)
こんな素晴らしいお天気の日に登らないなんて~ そう思われる方もいらっしゃるでしょうが、
東鎌尾根を無事歩ききることができた! その達成感と満足感でいっぱい!!
2人して不思議なほどに槍の穂先へ登らなかったことへの悔いはありませんでした。
このあと槍沢まで下らないといけませんしね。
初日のタクシーでご一緒だった奈良のおじさまも無事到着されていました。
もう穂先に登られ、ちょうど降りてこられたところだったようです。
おじさまの今後の予定は大キレットを越えて穂高方面。
「ありがとうございました。 どうぞ気を付けて!」
槍ヶ岳山荘で昼食をとったあと、満足感とともに槍沢へとメインルートを下り始めました。
『そういえば燕岳からご一緒のご夫婦、追いついてこなかったね。 エスケープされたのかな・・・』
話していると、下から単独の女性が登ってきました。 すると・・・
「あ~~~! 奥さ~~ん~!!!」 単独の女性。 燕からご一緒だった奥様です。
『えぇぇ~~~! なんで???』 よしころん。
「ヒュッテ大槍までは頑張ったんだけど、その先も厳しいってことだったんで、主人にはそのまま行ってもらって、私はいったん下ったの~。 それにしても東鎌尾根本当キツくて厳しかったわね~~。」
3枚前の写真で確認できますが、ヒュッテ大槍からメインルートまではかなり下って登り返しになります。
奥さま、疲れた様子もなく楽しそうに登り返しています。 高所恐怖症山屋のド根性を感じました。
「槍はやっぱりいいわね~~ またどこかでお会いしましょうね~~ヽ(^o^)丿」
でも奥様、槍の穂先には登りません(笑)
ご一緒できて本当に楽しかったです♪ お互い高所恐怖症山屋としてこれからもがんばりましょう~~
15時過ぎには無事槍沢キャンプ地(ババ平)到着。 最後の夜が更けていきました。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
9月21日(土) 晴れ
槍沢キャンプ地 ~ 槍沢ロッヂ ~ 横尾 ~ 新村橋 ~ 徳沢 ~ 明神館 ~ 上高地バスターミナル
槍沢キャンプ地(ババ平)とこちらを管理している槍沢ロッヂは30分位離れているので、
下山時にテン場を利用した際は帰路にロッヂに立ち寄りテント代を支払えればよいシステムとなっています。
ロッヂに立ち寄り支払を済ませたあとは上高地バスターミナルに向けて歩きます。
徳沢のテント場は芝生で気持ちよさそうです♪
この日は三連休の初日ということもあって、このあたりまでくると登山者も観光客も入り交ざってすごい人(><)
登山者もわれ先にとガンガン登ってきます。 (殺気立ってて恐い・・・)
横に広がってしゃべりながら歩くグループ多数・・・ 直前でもよけてさえくれない・・・(せめて一列で歩いてほしい・・・)
ある意味危険エリアだと思いました ↓ ↓ ↓
喧騒をよそに麓には美しく豊かな森が広がっていました。
午前中には上高地バスターミナルに無事到着。 3泊4日の山旅を無事終えることができました。
テントを担いでの表銀座縦走。 4日間通してガスの発生や強風もなく晴天に恵まれました。
悪天では私達にはとても歩ききることのできないルートだったと感じました。
天に山に、お会いした人々に歩かせていただいと感謝の気持ちでいっぱいです。
何度訪れても槍の穂先には登れないかもしれませんが、槍ヶ岳にはまた別のルートで訪れてみたいものです。
次回ルートは高所恐怖症の奥様も大丈夫!とお墨付きをくれた 西鎌尾根が最有力 ^^v
北アルプス、素晴らしい4日間をありがとうございました ヽ(^o^)丿
※10月1日(火)早朝より次の山旅にでます。 毎度毎度で申し訳ありませんがご訪問、コメント遅れます。 m(__)m
表銀座縦走 前編 (2013年9月) [北アルプス]
北アルプス、表銀座。山を歩く方なら誰もが一度は聞いたことのある憧れのクラッシックルートを歩いてきました。
初日朝、穂高駅の無料駐車場に車を置き、燕岳の登山口まで乗合タクシーにて移動。
燕岳から槍ヶ岳まで縦走し、最終日は上高地からバスと電車を乗り継いで穂高駅に戻ってくる計画です。
3泊4日テント泊装備。
4日間通して昼食を途中の小屋で食べることができるため、ザック重量は谷川連峰主脈縦走時とほぼ同じ。
パートナー21キロ、よしころん13キロです。
9月18日(水) 晴れ
中房温泉 ~ 合戦小屋 ~ 燕山荘 ~ 燕岳(テント泊)
北アルプス三大急登のひとつとされる合戦尾根を登ります。
念願だった合戦小屋のスイカ! 美味い!!!!
はじめまして^^ 君にも会いたかったんだ♪
こちらも有名な山のイルカくん♪
めがね岩
泊まってみたい山小屋ナンバーワンの「燕山荘」
こちらは持ち運び式我が家(笑)
早速イワヒバリくんが遊びにきてくれました^^
初日の行程はここ燕岳まで。
午前中にはテント場到着。 燕山荘で手続きをすませたあとはもちろん生ビール~~~ヽ(^o^)丿
ご満悦夫婦は千鳥足?で燕岳へお散歩 ^^;
翌日歩く縦走路が見えています。
こんなに人の少ない燕岳もめずらしいのかな♪ 平日組の特権です^^v
燕岳山頂より剱岳方面
鷲羽岳に夕日が沈んでいきました。
お月様 こんばんは♪
振り返ってみると初日が一番のんびりと過ごすことができました。翌日からの本格的縦走に備え18時すぎには就寝しました。
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9月19日(木) 晴れ
燕岳(テント場) ~ 大天荘 ~ 大天井岳 ~ 大天井ヒュッテ ~ 西岳 ~ ヒュッテ西岳(テント泊)
おはよう~ ^^
2日目もお天気の心配ナッシ~~ ヽ(^o^)丿
槍を眺めながらのトレイルです♪
大天井岳から常念岳へ向かうというお兄さんと写真を撮りっこしました ^^
大天荘から大天井ヒュッテへのルートは大嫌いな岩稜帯のトラバース。 しかも下り。
重い荷物に体が振られると怖いす~~ ToT
この区間、登山地図には何の記載もありません・・・ 下り道ですが大汗かきかき下りました(><)
イワヒバリくん、君のようにひとっ飛びできればなぁ。
西岳まではアップダウンを繰り返しつつ、ひたすら歩く、歩く、歩く・・・ ここ、真夏はかなり暑さが厳しそうです。
バテバテになりつつも無事ヒュッテ西岳に到着。
初日に乗合タクシーで一緒だった奈良のおじさまは暗いうちに燕山荘を出発。 お昼過ぎには着いていたそう。
「えぇ~!まだ登るんでっか!!」 と言われながらも、テント設営後西岳に登ってきました(笑)
『はい、次はないかもしれませんから~~』
この日の稜線上はほぼ無風。 正面に槍を眺めることのできる最高のテン場でした ヽ(^o^)丿
窓を開けるとこの景色ですから♪
眼前に翌日歩く槍ヶ岳へと延びる東鎌尾根もくっきりと確認できる。 うぅぅ・・・このルート、どう見てもヤバイかも・・・
後編に続きます・・・
表銀座縦走 槍ダイジェスト (2013年9月) [北アルプス]
9月18日(水)~21日(土)
9月18日(水)
9月19日(木)
9月20日(金)
9月20日(金)
3泊4日、テント担いで北アルプス、燕岳~大天井岳~西岳~槍ヶ岳(ネモトマデネ^^;) 縦走してまいりましたヽ(^o^)丿
日に日に少しずつ近づいてくる槍ヶ岳をダイジェストにしてみました。 本編は・・・追々と^^;
谷川連峰主脈稜線縦走 後編 (2013年9月) [谷川岳]
前回からの続きです・・・
主脈稜線上には 「オジカ沢ノ頭避難小屋」 「大障子避難小屋」 「越路避難小屋」 「エビス避難小屋」
この4つの避難小屋が点在してます。
「大障子避難小屋」はそのなかで一番大きな避難小屋です。
このあとも避難小屋泊りの方がこられる可能性があるので、自分たちの荷物は小屋の隅に置いておきます。
山の懐に抱かれ、空を見て風を感じる。 あぁなんて幸せなんだろう。
わたしたちの山歩きは人より早く歩くことや、ピークをこなすことでもない。 五感で山を感じることなんだ。
夜が更けるとともに風はさらに強くなり、ゴーゴーと音をたて、群馬側から新潟へと風が稜線を越えているのが分かります。
小屋はギシギシと音を立て、建付けの良くないドアはキュルキュルと鳴きやみません。
小屋の中に大きな石が置いてあったのは風でドアが開いてしまうのを防ぐためのもの。
それでも時折 「ドン!」 「ガチャン!!」 大きな音とともにドアを開けんばかりの勢いで強風が叩きつけてきます。
『天気予報はそう悪い予報ではなかったのに、なんでこんなにも強風なんだろう・・・』
『これに雨が加わったら明日は停滞かなぁ・・・』
2人して同じことを考えながら朝までうつらうつら眠りました。
9月10日(火) ガス+ 強風 のち くもり
目が覚めると5時を過ぎていました・・・
1日目のコースを短縮したので、2日目は5時出発の予定だったのですが・・・
これで14時台のバスはアウト。15時台にギリギリ。
平標山の家での素泊まりも視野に入れ、予定より1時間遅れの6時に大障子避難小屋を出発。
風は夜半に比べるとずいぶん弱くなっていましたが、相変わらずの強風。 まわりは真っ白。
長時間さらされていると、いつのまにかビショ濡れになるタイプの濃いガスに包まれています。
歩きはじめからレインウェアとグローブを装着。 カメラはザックに片づけました。
視界は10~20メートル前後。 登山道は濡れて滑りやすい状態です。
先を焦ることなく、一歩一歩前に進むことに集中!
特に濡れた岩場での下りはゆっくり、ゆっくり確実に下っていきます。
大障子ノ頭、万太郎山、このふたつのピークからの下りは岩場やヤセ尾根、私達には厳しい道でした。
前日疲れた脚で無理をして歩かなくて本当によかったと感じました。
初日に泊まる計画だった越路避難小屋を越え、エビス大黒へ向かう途中の名もない小ピークを登っていたとき・・・
ガスの中から忽然と平標山方面から歩いてこられた単独の男性が現れました。
男性も突然目の前に現れた私達に少し驚いた様子で、
「おはようございます! いや~初めて人に会いました。どこからですか?」
『大障子避難小屋からです。私達も昨日から初めて人に会いました。(笑) どちらから?』
「下からです。」
『おぉ~早いですね~~ 今日はどちらまで?』
「できれば下まで歩きたいんですけど、もうすでに脚が痛くて~~」
こんなめげそうなお天気の日この稜線上で会う人はいないだろうと思っていたので、なんだか同士のような心境です。
お互いの無事を祈ってそれぞれの進む道へと見送りました。
エビス避難小屋到着しました。 こちらのほうはガスが薄いようで下草も濡れていません。
そろそろカメラを出して歩いても大丈夫そうです。
レインウェアを脱ぎ、小休止をとっていたそのとき、いままでガスに覆われていた登山道が目の前に広がりました。
最後の正念場、仙ノ倉山が目の前にそびえています。
振り返ると エビス大黒ノ頭 も姿を現しました。
「ひぃぃ~(><) あんなところ越えてきたんだね。 ガスで下が見えなくてよかったかも・・・」 (よしころんは高所恐怖症)
山頂手前に見えているふたつの大きな三角の岩、あの辺り、片側スッパリ切れているはず。
(主脈稜線上、鎖場はオジカ沢ノ頭直下1ケ所のみ。 他にも要注意箇所箇所多々ありますが、補助の鎖やロープ、ペンキマーク等一切ありません)
その様子を眺めていると、この日歩いてきた万太郎山から続く縦走路がさぁーっと現れました。
まるで舞台の演出のように、ガスが晴れ、日が射したのです。
「朝から歩いてきた道が見えてる! すごいね!!」
「さっき会ったあの男性もこの景色、きっと見えてるね。」
それはほんの2~3分の出来事。 山は再び白いベールに覆われてしまいました。
ここまで頑張って歩いたご褒美を山から頂いた気分。 さぁ! いざ、仙ノ倉!!
仙ノ倉山で主脈稜線の核心部はほぼ終えます。
この登りがまさに最後の山場! 急斜面を喘ぎながら登りつつも、一歩一歩嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
この日は朝からガスと強風の登山道を歩きながら、
『 そら~とキミとのあいだには~ いつ~もつめたいカゼがふく~♪ 』 (ツメタイアメジャナクテヨカッタ・・・)
このフレーズが頭の中をぐるぐる回っていました。
それにしてもガスと風だけで雨が降らなくてほんとよかったな。
そうは思いつつも辛い気持ちになると、いつも応援してくれている家族や師匠、友人たちのことが浮かんできていました。
大丈夫!まだまだがんばれる!!
そしてついに仙ノ倉山到着。 ヤッター!
5年前、谷川岳に初めて登ったあの日からあこがれ続けた稜線、とうとうここまでやってきました!!
嬉しい、心から嬉しい。 2人で三角点と山頂標識にタッチ。
『あのときの気持ちは一生忘れられないと思う』 パートナー。 もちろん私もそう。
ここまで予定通り歩いてくることができました。
あとは平標山を越え、平標山の家を経由して登山口バス停まで3時間半。
この先は何度も歩いている道。 危険箇所もありません。
山の家で水を補給し、小休止のあと下山開始。 15時20分、バスの時間まで30分を残して平標登山口バス停到着。
2日間に渡る谷川連峰主脈稜線縦走の旅が無事終わりました。
5年間憧れ続けた縦走路はわたしたちの想像以上に厳しくも素晴らしいものでした。
そしてこれからもずっと憧れ続けるであろう路となりました。
越後湯沢へと向かうバスの中 「2日目はほとんど景色が見えなかったからまた歩かないとね!」
どこまでも山バカな2人なのでした。
長いレポを最後までお読みいただき、ありがとうございました^^
ということで10月末までは今まで歩いてみたかった縦走ルートへ、テント担いで旅三昧の予定です(笑)
ご訪問はしばらくnice! のみになると思います。 コメントに対するお返事も遅れますが、どうかお許しくださいませ m(__)m
※コースタイム、登山道の詳細はヤマレコに記載しています。 よろしければ参考になさってください。
(感想はほぼ同じ内容です ^^;)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-342919.html
主脈稜線上には 「オジカ沢ノ頭避難小屋」 「大障子避難小屋」 「越路避難小屋」 「エビス避難小屋」
この4つの避難小屋が点在してます。
「大障子避難小屋」はそのなかで一番大きな避難小屋です。
このあとも避難小屋泊りの方がこられる可能性があるので、自分たちの荷物は小屋の隅に置いておきます。
谷川連峰にかんぱ~い!!!
「金もいらなきゃ出世もいらぬ。 山さえ登れりゃご満悦。」 (会津駒ヶ岳駒の小屋の手拭いに書かれた言葉です^^)
ほら、あそこにご満悦中の方が!(笑)
よしころん、サンダル履きのまま避難小屋の少し先の小ピークまで登ってきました。
山の懐に抱かれ、空を見て風を感じる。 あぁなんて幸せなんだろう。
わたしたちの山歩きは人より早く歩くことや、ピークをこなすことでもない。 五感で山を感じることなんだ。
この日大障子避難小屋は2人の貸切となりました。 主脈稜線上での贅沢な時間がゆっくりと流れていきます。
さようなら。 また明日・・・
夕飯を終え、日が沈むとともに小屋のまわりはガスにまかれ風が強くなってきました。
夜が更けるとともに風はさらに強くなり、ゴーゴーと音をたて、群馬側から新潟へと風が稜線を越えているのが分かります。
小屋はギシギシと音を立て、建付けの良くないドアはキュルキュルと鳴きやみません。
小屋の中に大きな石が置いてあったのは風でドアが開いてしまうのを防ぐためのもの。
それでも時折 「ドン!」 「ガチャン!!」 大きな音とともにドアを開けんばかりの勢いで強風が叩きつけてきます。
『天気予報はそう悪い予報ではなかったのに、なんでこんなにも強風なんだろう・・・』
『これに雨が加わったら明日は停滞かなぁ・・・』
2人して同じことを考えながら朝までうつらうつら眠りました。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
9月10日(火) ガス+ 強風 のち くもり
大障子避難小屋~大障子ノ頭~万太郎山~エビス大黒ノ頭~仙ノ倉山~平標山~平標山の家~平標山登山口バス停
(その後JR越後湯沢駅より土合駅へ電車移動)
目が覚めると5時を過ぎていました・・・
1日目のコースを短縮したので、2日目は5時出発の予定だったのですが・・・
これで14時台のバスはアウト。15時台にギリギリ。
平標山の家での素泊まりも視野に入れ、予定より1時間遅れの6時に大障子避難小屋を出発。
風は夜半に比べるとずいぶん弱くなっていましたが、相変わらずの強風。 まわりは真っ白。
長時間さらされていると、いつのまにかビショ濡れになるタイプの濃いガスに包まれています。
歩きはじめからレインウェアとグローブを装着。 カメラはザックに片づけました。
視界は10~20メートル前後。 登山道は濡れて滑りやすい状態です。
先を焦ることなく、一歩一歩前に進むことに集中!
特に濡れた岩場での下りはゆっくり、ゆっくり確実に下っていきます。
大障子ノ頭、万太郎山、このふたつのピークからの下りは岩場やヤセ尾根、私達には厳しい道でした。
前日疲れた脚で無理をして歩かなくて本当によかったと感じました。
初日に泊まる計画だった越路避難小屋を越え、エビス大黒へ向かう途中の名もない小ピークを登っていたとき・・・
ガスの中から忽然と平標山方面から歩いてこられた単独の男性が現れました。
男性も突然目の前に現れた私達に少し驚いた様子で、
「おはようございます! いや~初めて人に会いました。どこからですか?」
『大障子避難小屋からです。私達も昨日から初めて人に会いました。(笑) どちらから?』
「下からです。」
『おぉ~早いですね~~ 今日はどちらまで?』
「できれば下まで歩きたいんですけど、もうすでに脚が痛くて~~」
こんなめげそうなお天気の日この稜線上で会う人はいないだろうと思っていたので、なんだか同士のような心境です。
お互いの無事を祈ってそれぞれの進む道へと見送りました。
エビス避難小屋到着しました。 こちらのほうはガスが薄いようで下草も濡れていません。
そろそろカメラを出して歩いても大丈夫そうです。
レインウェアを脱ぎ、小休止をとっていたそのとき、いままでガスに覆われていた登山道が目の前に広がりました。
最後の正念場、仙ノ倉山が目の前にそびえています。
振り返ると エビス大黒ノ頭 も姿を現しました。
「ひぃぃ~(><) あんなところ越えてきたんだね。 ガスで下が見えなくてよかったかも・・・」 (よしころんは高所恐怖症)
山頂手前に見えているふたつの大きな三角の岩、あの辺り、片側スッパリ切れているはず。
(主脈稜線上、鎖場はオジカ沢ノ頭直下1ケ所のみ。 他にも要注意箇所箇所多々ありますが、補助の鎖やロープ、ペンキマーク等一切ありません)
その様子を眺めていると、この日歩いてきた万太郎山から続く縦走路がさぁーっと現れました。
まるで舞台の演出のように、ガスが晴れ、日が射したのです。
「朝から歩いてきた道が見えてる! すごいね!!」
「さっき会ったあの男性もこの景色、きっと見えてるね。」
それはほんの2~3分の出来事。 山は再び白いベールに覆われてしまいました。
ここまで頑張って歩いたご褒美を山から頂いた気分。 さぁ! いざ、仙ノ倉!!
仙ノ倉山で主脈稜線の核心部はほぼ終えます。
この登りがまさに最後の山場! 急斜面を喘ぎながら登りつつも、一歩一歩嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
この日は朝からガスと強風の登山道を歩きながら、
『 そら~とキミとのあいだには~ いつ~もつめたいカゼがふく~♪ 』 (ツメタイアメジャナクテヨカッタ・・・)
このフレーズが頭の中をぐるぐる回っていました。
それにしてもガスと風だけで雨が降らなくてほんとよかったな。
そうは思いつつも辛い気持ちになると、いつも応援してくれている家族や師匠、友人たちのことが浮かんできていました。
大丈夫!まだまだがんばれる!!
そしてついに仙ノ倉山到着。 ヤッター!
5年前、谷川岳に初めて登ったあの日からあこがれ続けた稜線、とうとうここまでやってきました!!
嬉しい、心から嬉しい。 2人で三角点と山頂標識にタッチ。
『あのときの気持ちは一生忘れられないと思う』 パートナー。 もちろん私もそう。
ここまで予定通り歩いてくることができました。
あとは平標山を越え、平標山の家を経由して登山口バス停まで3時間半。
この先は何度も歩いている道。 危険箇所もありません。
仙ノ倉山~平標山の稜線は草紅葉がはじまり、すっかり秋の気配。 いつもの東芝ランプに挨拶しつつ歩きます。
山の家で水を補給し、小休止のあと下山開始。 15時20分、バスの時間まで30分を残して平標登山口バス停到着。
2日間に渡る谷川連峰主脈稜線縦走の旅が無事終わりました。
5年間憧れ続けた縦走路はわたしたちの想像以上に厳しくも素晴らしいものでした。
そしてこれからもずっと憧れ続けるであろう路となりました。
越後湯沢へと向かうバスの中 「2日目はほとんど景色が見えなかったからまた歩かないとね!」
どこまでも山バカな2人なのでした。
長いレポを最後までお読みいただき、ありがとうございました^^
ということで10月末までは今まで歩いてみたかった縦走ルートへ、テント担いで旅三昧の予定です(笑)
ご訪問はしばらくnice! のみになると思います。 コメントに対するお返事も遅れますが、どうかお許しくださいませ m(__)m
※コースタイム、登山道の詳細はヤマレコに記載しています。 よろしければ参考になさってください。
(感想はほぼ同じ内容です ^^;)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-342919.html
谷川連峰主脈稜線縦走 前編 (2013年9月) [谷川岳]
9月9日(月) ~ 10日(火)
9日(月) 晴れ 時々 くもり
長いあいだ想いこがれていたルートをようやく歩いてこられました。
辛くて、苦しくて、厳しくて、本当に楽しい旅でした。
この稜線を歩いたことを記録として残せること自体を嬉しく感じています。
何度となく計画しては流れを繰り返した谷川主脈。
パートナーの退職に伴う有給消化でたっぷりと2カ月の時間ができた。
転職活動は厳しいけれど、この機会に今まで行くことの出来なかった山域を思う存分満喫することに♪
ここはその第一弾山行。
ここから西黒尾根を経て主脈稜線にて1泊。
翌朝主脈稜線を縦走し平標山より下山、越後湯沢駅からここに戻ってくる計画です。
避難小屋1泊装備。
(パートナー20キロ、よしころん13キロ、ルート上にほぼ水場がないため二人で約7キロの水を担いでいます)
この装備の重さがのちのちボディーブローのようにダメージを及ぼしていくことに・・・
いままで群馬側からは 土合駅~西黒尾根~オジカ沢ノ頭まで。
新潟側からは三国峠~平標山~仙ノ倉山、これらの道のりは何度か歩いているけれど、
このあいだの主脈稜線を歩ききることが私達の夢のひとつでした。
私達の足でとても日帰りは無理。最低1泊は必要。
家族には天候や体調次第で2泊の可能性もあることを伝えて家を出ました。
西黒尾根、氷河の跡付近ですでに2人とも脚にきていました。
7月にほぼ同様の装備で北岳に登っていますが、そのときよりもはるかにキツイ。
もちろんペースも全くあがりません。 ザックの重さに喘ぎながら肩の小屋到着。
肩の小屋で作戦会議。
2人して西黒尾根の登りで脚の力を7割くらい使い切ったかんがある。
計画では1日目に万太郎山を越え、越路避難小屋まで歩く予定だったけれど、とりあえずオジカ沢ノ頭を越え大障子避難小屋まで歩き、その時の体力の残り具合で1日目の行程を短縮するか決めることに。
2人して西黒尾根の登りで脚を使い切ったようで、久しぶりに足が前に出なくなっていました。
時間的にはまだ先に進むことも可能でしたが、疲れた脚でこの先の大障子ノ頭と万太郎山を越えるのはリスクありと判断。
無理をしないで初日の行程を短縮したこの選択は間違ってなかったと翌日感じることになります。
後編に続く・・・
9日(月) 晴れ 時々 くもり
土合駅 ~ 西黒尾根経由 肩の小屋 ~ オジカ沢ノ頭 ~ 小障子ノ頭 ~ 大障子避難小屋(泊)
二人の夢の稜線は、厳しく、温かく迎え入れてくれました。
長いあいだ想いこがれていたルートをようやく歩いてこられました。
辛くて、苦しくて、厳しくて、本当に楽しい旅でした。
この稜線を歩いたことを記録として残せること自体を嬉しく感じています。
何度となく計画しては流れを繰り返した谷川主脈。
パートナーの退職に伴う有給消化でたっぷりと2カ月の時間ができた。
転職活動は厳しいけれど、この機会に今まで行くことの出来なかった山域を思う存分満喫することに♪
ここはその第一弾山行。
土合駅
ここから西黒尾根を経て主脈稜線にて1泊。
翌朝主脈稜線を縦走し平標山より下山、越後湯沢駅からここに戻ってくる計画です。
避難小屋1泊装備。
(パートナー20キロ、よしころん13キロ、ルート上にほぼ水場がないため二人で約7キロの水を担いでいます)
この装備の重さがのちのちボディーブローのようにダメージを及ぼしていくことに・・・
いままで群馬側からは 土合駅~西黒尾根~オジカ沢ノ頭まで。
新潟側からは三国峠~平標山~仙ノ倉山、これらの道のりは何度か歩いているけれど、
このあいだの主脈稜線を歩ききることが私達の夢のひとつでした。
私達の足でとても日帰りは無理。最低1泊は必要。
家族には天候や体調次第で2泊の可能性もあることを伝えて家を出ました。
ラクダの背より谷川岳 う~ん 今日も男前
じぇじぇじぇ! パートナー、すでに背中がバテテますねぇ・・・^^;
西黒尾根、氷河の跡付近ですでに2人とも脚にきていました。
7月にほぼ同様の装備で北岳に登っていますが、そのときよりもはるかにキツイ。
もちろんペースも全くあがりません。 ザックの重さに喘ぎながら肩の小屋到着。
いざいかん!
肩の小屋で作戦会議。
2人して西黒尾根の登りで脚の力を7割くらい使い切ったかんがある。
計画では1日目に万太郎山を越え、越路避難小屋まで歩く予定だったけれど、とりあえずオジカ沢ノ頭を越え大障子避難小屋まで歩き、その時の体力の残り具合で1日目の行程を短縮するか決めることに。
迫力の俎嵓山稜
少し角度を変えるとこんなにもたおやかに。 この山容が谷川連峰の魅力と怖さを物語っているかもしれません。
オジカ沢ノ頭
オジカ沢ノ頭に着いたとき、「今日は大障子避難小屋までだな・・・」 わたしのなかでは決まっていました。
さぁ、いよいよ夢にまで見た稜線を歩きます。
あぁ、なんて美しいのでしょう・・・
オヤマリンドウ
主脈稜線のなかでは オジカ沢ノ頭 ~ 大障子ノ頭 この間が一番快適に歩けるのかな。
振り返って オジカ沢ノ頭 こちら側から見ると違うお山に見えるねぇ。
小障子ノ頭
大障子避難小屋が近づいてきました。
本日のお宿に到着です。
2人して西黒尾根の登りで脚を使い切ったようで、久しぶりに足が前に出なくなっていました。
時間的にはまだ先に進むことも可能でしたが、疲れた脚でこの先の大障子ノ頭と万太郎山を越えるのはリスクありと判断。
無理をしないで初日の行程を短縮したこの選択は間違ってなかったと翌日感じることになります。
後編に続く・・・
2013年 夏 帰省旅 2 (2013年8月) [みんなでおでかけ]
前回からの続きです。
前日の夜 『明日はどうしようかなぁ~~』 和歌山の地図を眺めていたとき、この島への航路がなにげなく目に入った。
スマホで調べてみると1日往復8便、船もあるらしい。 島へ渡るにも片道20分とそう遠くない。
「この無人島どう? なんか面白そうじゃない!?」 : よしころん
「へぇぇ~ うんうん、面白そう! いいんじゃない!!」 : 娘たち
2日目の行先はよしころんと娘たちの独断で決定 ^^v
じぃじとばぁばとはこのあと和歌山駅でお別れ。
私達は千葉へ、じぃじとばぁばは和歌山港から四国へ、それぞれの家に帰っていきました。
この他、とても記事に書くことのできないじぃじのおとぼけでおまぬけもありましたが、
三世代旅はこの夏もたくさんの思い出ができました^^
じぃじ、ばぁば、お疲れ様でした♪ いつもありがとう♪ 来年も楽しみだね ヽ(^o^)丿
8月29日(木) 晴れ
秘密基地!?
ここは 友ケ島。 数件の海の家がありますが、第二次世界大戦まで軍事要塞だった無人島です。
前日の夜 『明日はどうしようかなぁ~~』 和歌山の地図を眺めていたとき、この島への航路がなにげなく目に入った。
スマホで調べてみると1日往復8便、船もあるらしい。 島へ渡るにも片道20分とそう遠くない。
「この無人島どう? なんか面白そうじゃない!?」 : よしころん
「へぇぇ~ うんうん、面白そう! いいんじゃない!!」 : 娘たち
2日目の行先はよしころんと娘たちの独断で決定 ^^v
うわわ~~~~ ゾクゾクします!!
第3砲台 弾薬庫跡
娘たちはスマホを懐中電灯代りに暗闇にアタック!
ほら・・・ あの闇の向こうに・・・ ^^;
軍事要塞だったため、昔は一般の立ち入りは禁止され、島は地図上にも載っていなかったそうです。
行ってみるよぉ~
クーラーバックは若者が交代で担ぐのよ!
もうちょっと島内探検
第5砲台跡
ボルタリング次女はひょひょい~と乗り越えます。
やっぱりここは石投げるよね!
友ケ島、面白かったね! (軍事要塞として実際に使用されることはなかったそうです)
次は和歌山城へ
じぃじもばぁばも2日間よく歩きました♪
じぃじとばぁばとはこのあと和歌山駅でお別れ。
私達は千葉へ、じぃじとばぁばは和歌山港から四国へ、それぞれの家に帰っていきました。
おまけ
お城住まいの タイワンリス
お城住まい? のポニー
この他、とても記事に書くことのできないじぃじのおとぼけでおまぬけもありましたが、
三世代旅はこの夏もたくさんの思い出ができました^^
じぃじ、ばぁば、お疲れ様でした♪ いつもありがとう♪ 来年も楽しみだね ヽ(^o^)丿
2013年 夏 帰省旅 (2013年8月) [みんなでおでかけ]
8月28日(水) 晴れ
両親、次女、私の4人は午前5時すぎに香川の実家を出発、長女は始発電車で都内を発ち、途中駅で合流予定。
連休のないパートナーは今年もお留守番です ^^;
高野山、わたしと娘たちは宿坊に泊り、ゆっくりと歩きたかったのですが、何度も訪れたことのある両親に却下 ^^;
(両親は温泉に泊まりたかったのですね)
しかし今回ばかりは娘たちも 「宿坊に泊まりたかった~~~」 「写経がしたかった~~」 「朝のお勤めしたかった~~」
等々言っておりました。 じぃじ、ばぁば、今度来るときは却下しないでね(笑)
もし今後おでかけ予定の方は宿坊でなくても高野山周辺に泊り、ゆっくり歩かれることをお勧めします^^
後ろ髪をひかれつつ、ばぁばリクエストの 「立里荒神」(たてりこうじん) へ向かいます。
美しく七色に光り輝く雲がこの日の好天を知らせてくれていた。
両親、次女、私の4人は午前5時すぎに香川の実家を出発、長女は始発電車で都内を発ち、途中駅で合流予定。
連休のないパートナーは今年もお留守番です ^^;
今年の親子孫三世代旅の行先は 高野山
和歌山にて長女も無事合流しました^^
歩いたのは高野山奥ノ院周辺、透明で清らかな空気に包まれている場所です。
日光と似た気が漂っているようにも感じました。
娘たちも御朱印帳持参です。
寺ガール!?
この御廟橋(みみょうのはし)より先はお大師さま(弘法大師)の眠る聖地。
橋を渡る前に一礼。 脱帽し、私語も慎みます。 写真撮影も禁止です。
高野山、わたしと娘たちは宿坊に泊り、ゆっくりと歩きたかったのですが、何度も訪れたことのある両親に却下 ^^;
(両親は温泉に泊まりたかったのですね)
しかし今回ばかりは娘たちも 「宿坊に泊まりたかった~~~」 「写経がしたかった~~」 「朝のお勤めしたかった~~」
等々言っておりました。 じぃじ、ばぁば、今度来るときは却下しないでね(笑)
もし今後おでかけ予定の方は宿坊でなくても高野山周辺に泊り、ゆっくり歩かれることをお勧めします^^
後ろ髪をひかれつつ、ばぁばリクエストの 「立里荒神」(たてりこうじん) へ向かいます。
お大師さまも毎月参拝したといわれる 「立里荒神」(たてりこうじん)
高野山よりもさらに山深い、静かな所でした♪
親子孫三世代旅はまだまだ続きます~~
※コメント欄あけました^^v でもお返事できるのはかなり遅くなりそうです。 ご容赦くださいませ m(__)m